2019年5月5日

ツナガル1週間。

いろーんなタイミングで、偶然にも生とは、、死とは、、を考える1週間。
(急にどうした?って思うかと思いますが、私は元気です笑。)

先日の誕生日の日に、クルトとフランクが祝ってくれた。
34歳になりました。















というのも、今週頭にトゥールーズ時代の恩人が危篤と連絡あり。
そして、翌日には訃報。
きっと連絡を受けたみんながみんな100%びっくりする、急なさようならでした。

1月にトゥールーズで会ったのが最後。
公演を観に来てくれて、終わってすぐ真っ赤な顔して飛びつくようにハグに走って来てくれた姿が忘れられなーいなー あんなに元気だったのに。
これまでたぶん全ての作品を見てくれてると思うけど、私の作品を見て、あんなに喜ぶ彼を見るのは初めてでした。正直で、まっすぐで、愛に溢れた素敵なヒト。
何より、彼のおかげで今だにフランスで生きられてると言っても過言じゃない。
色々助けてもらいすぎていて、なーんの借りも返せてない感がとても寂しいけど、
きっとニヤニヤ、パイプ咥えながらどこかから覗いてくれるんだろうなーと思う。

" EVERYTHING WITH EVERYONE ALL OF THE TIME "

そんな中で見に行った写真美術館のCoco Capitanの作品にあったヒトコト。
タイミングもあって、どーーーーんときた。


















そうそう、いつもみんなどこかにいてくれてる。


霊感とかぜーんぜんないけど、あの方々、都合のいい時だけふらふら遊びに来てるような気がいつもする。もちろん"実物"としてカラダがないのは寂しいけど、また新たな付き合い方って思えば、寂しさ5パーセントくらいオフできる。
ちょうど5月3日が兄の命日だったのもあって、それも重なるツナガル。
うん、とりあえず、カレー食べよ。

激かわアニとつぶらな瞳の私。



















そーーーしてそして、同じ写真美術館のRen Hang展もこれまたピタッと。
中国という抑制された国で、ヌード写真をアートとして撮り続けた作家。
29歳で亡くなってしまったのだけど、
「身体は恥ずかしいものじゃないのに、なんで隠さなきゃいけないんだろう?」
っていう彼の言葉が印象的だった。
体の存在とか構図とかどこかダンス的で、生々しくて、そしてチャーミング。
ぱっと見すごく奇抜なところを狙っているようにも見えるけど、きっとカラダってものを追求していくうちにシンプルにそこにたどり着いたんだろうな。それが彼の方法だったんだろうなって思えた。

なんだろう。
"kara-da-kara"の中でも自分なりに向き合ったテーマだったけど、
カラダとは、肉体とは、人にとっての死とは、生きるとは、、、
ほぼ同世代の2人の作家が、それぞれの方法で表現として探していることが、凄く共感できたし、嬉しかった。そして、既に自分の表現方法を見つけられている彼らはすごいなーって。日々考えていることをどう表出させるか。ふむ。
まだまだまだまだ探すことがいっぱいだーーー。がんばろ。

そんな訳で、偶然にもいろんなことが重なって、繋がって、
生とは、、死とは、、カラダとは、、を考える1週間だったのでした。
この暇な時期に、いい課題頂いた。
全ては必然。アリガトウ♡

R.I.P. Paul-Eric♡